ご由緒

  

神社は正親町天皇の御代、天正2年(1574年)春2月京都稲荷山に詣で、伏見稲荷の御分霊をいただき、創建したと言われている。

 

現在五反野と呼ばれるこの場所は、元々は河川の氾濫原野だったが、江戸時代の新田開発の際に京極氏弥五郎によって開拓された。開拓者の名をとって弥五郎新田と呼ばれていた。

 

戸時代後期の弥五郎新田には東の宮・本田の宮・西の宮の三つの稲荷神社と一つの氷川神社があったとされる。やがて明治初期以前に氷川神社は本田の宮に合祀され、明治3年(1870年)2月に東の宮が西の宮に合祀された。

 

正元年(1912年)11月、本田の宮があった地が荒川放水路の開削にあたり河川敷として買収されてしまい、それに伴い本田の宮の御祭神も西の宮に合祀されることになった。宇迦之御魂命・須佐之男命の二柱を奉斎しているのはこれが所以である。こうして西之宮稲荷神社は弥五郎新田の総鎮守となった。 

 

和20年(1945年)5月25日、第二次世界大戦の最中、大空襲で西之宮稲荷神社の本殿・神楽殿などが焼失したが、氏子崇敬者の多額の寄進が集まり、10年後の昭和30年(1955年)に社殿と拝殿を、平成元年(1989年)に神楽殿を再建した。現在の社殿は平成12年(2000年)に造営したものである。